金魚サイト【桜錦道】〜桜錦愛好会〜
桜錦の作出者 深見光春氏インタビュー

深見光春氏画像
深見光春氏
日本金魚は500年の歴史を持ちながら、きちんと固定化され、承認されている品種は非常に少なく、現在までで約25品種しかない。一つの品種を固定化するまでには多大な時間と労力、それを厭わない新品種に対する情熱が必要とされることがその理由だ。
それほどに難しい新しい金魚の作出固定化。そんな中、桜錦を作出したのが、青らんちゅう、羽衣らんちゅうなどでも有名な深見光春氏。金魚ファンの間では、その名を知らぬ者はなく、深見養魚場産の金魚は、もはやブランドとさえなっている。そんな深見光春氏に、桜錦作出に関する当時のお話を詳しく伺ってきた。



「桜錦作出・固定化は生産者としての意地」

快晴に恵まれた平成17年3月下旬、養魚場も忙しくなり始めるこの時期。深見さんには事前に趣旨を説明し、アポを取らさせて頂いていた。以前から機会があればお話を伺いたいとずっと思っていたお方で、金魚界の有名人。お会いする前「頑固一徹の金魚職人」を勝手にイメージしていたが、初めてお会いした深見さんは、写真の通りいかにも優しそうなお顔立ち。若輩者の私たちにも、気さくに、また非常に丁寧にお話下さいました。

―桜錦作出のきっかけは?
一番初めのきっかけは、東錦のような柄の肉瘤の発達した江戸錦を作ろうとしたことが始まりなんですよ。昭和44年、まず江戸川の東京水産試験場から江戸錦を30匹ほど買ってきて、1年目はその江戸錦たちから、まあまあ柄の良い江戸錦ができた。けれども、2年目は夏が暑かったせいか、夏場になったら黒っぽくなってしまい、柄が悪くなってしまった。それじゃあ、ということで目先を変えて、肉瘤の発達したうちのランチュウ江戸錦の掛け合わせ(1回目)をしたわけです。

こっちとしては肉瘤のある江戸錦を期待していたわけなんだけれども、結果は、墨がポツポツとある赤勝ち、肉瘤も出ていない、柄も頭も期待はずれの江戸錦ができてしまった。仕方がないので、その江戸錦の中でも柄・体型の良いものを選び、さらに掛け合わせをした。けれども、またまた肉瘤の出が悪かったんです。そこで、もう一度ランチュウと掛け合わせることにしたんです(2回目)。

そうしたら、やっと肉瘤の出る江戸錦がたくさん出るようになった。「よしっ」と思って、その当歳の江戸錦をたくさん残しておいたのだけれども、翌年の秋になると、その内の120匹ほどは墨がなくなったり、青みが抜けたりして、赤白のみの江戸錦とは呼べない江戸錦(桜錦の原形)になってしまったんです。

これでは江戸錦とは呼べない、かといって透明燐だからランチュウとは呼べない・・・弱ったなと思ったわけですが、出来上がったその魚たちを見たとき、ちょうど春に桜が咲く時の、三分咲きとか七分咲きのような感じを受けた。これはこれで綺麗だなと思い、この魚を見た時の第一印象であった「桜」と、江戸錦の「錦」をとって「桜錦」と名付けたんです。それで「桜錦」として初めて市場に出したんです。
―桜錦の固定化の過程を教えてください。
市場に出したら、問屋さんは桜錦を見て「なんだこれは?」「これはどうせ突然変異だろう」とか言うもんで、ワシは生産者の意地としてこれは続けていかなきゃいかんと思ったんです(笑)。

そんなもんだから、桜錦をたくさん作ってやろうと思って今度は桜錦同士を掛け合わせたら、出来た仔たちは、逆に墨がポツンポツンと入っていて、純粋に赤白の桜錦があんまり出なかった。桜錦を固定化しようと桜錦同士を掛けたのに、江戸錦の出来損ないが出来てしまったんです。このままじゃいイカンということで、その桜錦たちにさらにもう一度ランチュウを掛けたんですよ(3回目)。

3回ランチュウと掛け合わせたことにより、ランチュウの血が濃くなって江戸錦の名残りであった墨が劣勢となり、赤白のみの桜錦が多く出るようになった。その桜錦同士を掛け合わせていき、現在の桜錦として固定化することが出来たわけです。

そうして固定化できた桜錦を市場に出していたら、日本観賞魚振興会の理事もされている弥富の組合長さんたちが、理事会で「弥富でこういう金魚(桜錦)が出来たから新品種として認めてくれないか」と言ってくれた。それで平成8年に金魚の新品種として承認されたんです。

承認されたからといって、認定書とかそういったものはもらってるわけではないけど(笑)、新品種ということで当時の新聞やテレビで取り上げてもらったわけです。
ただ、桜錦作出のきっかけは良質な江戸錦を作ろうと思ったのが始まりであって、桜錦みたいな金魚を初めから創ろうと思って作出したものではないんですよ。

深見養魚場の桜錦たち桜錦をすくい出す深見氏

【桜錦の作出過程まとめ】

昭和40年代、肉瘤の発達した江戸錦を作るべく江戸錦とランチュウとを掛け合わせた。

結果は、肉瘤が出てこない。

その仔たちをもう一度ランチュウ(2回目)と掛け合わせた。

結果、できた仔のなかの120匹くらいが、赤白の江戸錦(桜錦の原形)になってしまった。

「桜錦」として名付け市場に出す。

その中から良い桜錦同士を掛け合わせた。

今度は逆もどりで墨が入っている固体が多く出てしまった。

その桜錦にさらにランチュウをかけて(3度目)ようやく「桜錦」として固定化できた。

平成8年、日本観賞魚振興会にて新品種として承認される。

桜錦の池を眺める深見氏

―桜錦作出の苦労話はありますか?
一番の苦労というか、困ったことは良い親魚を病気で死なせてしまうことです。良い親魚からは良い仔が採れるが、悪い親魚からはなかなかいい仔は出ないんですよ。
だから、良い親魚を殺さないように管理することが一番大事なこと。しかし、多くの金魚を扱っていると、どうしても行き届かない部分がありますね。

―新品種として承認された時のお気持ちは?
やっぱり嬉しかったですよ。
はじめから桜錦を作ろうという気持ちではなかったけれども、初めて桜錦を市場に出したときに「なんじゃこれは?どうせ突然変異で次には出てこないだろう」みたいなことを言われとったから、生産者として意地でも桜錦を完成させんとな!という気持ちは内々にありました。
―桜錦という品種名の由来は?
出来た魚をパッと見た印象で、桜が三分咲きや七分咲きの桜並木のような感じを受けたので「桜錦」と名付けました。桜は満開のときだとほとんど白くなっているけど、三分咲きくらいだと白いところもあり、赤いところもある。桜錦もちょうどそんな感じに見えたんですよ。
―良い桜錦の定義とは?
モザイク透明燐の中にキラキラ光る光沢燐が適当にあるもの。
柄は白勝ちだったら、目先、背が赤く、尾は白一色ではなくバランスよく赤が入っているものが良いと思うね。形はランチュウのように背なりが綺麗で、尾シリが背よりもちょっと低くなっていて、尾の型が良く、上手に泳ぐもの。
ただ、これは形が良いなと思っても柄が悪かったり、柄が良くても形に難があったり、完璧なものはやはりなかなか出来ないですよ。

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(桜錦作出者:深見光春氏談)
【取材後記】
お忙しい中、深見さんは当時の話を丁寧にして下さりました。「桜錦みたいな金魚を初めから創ろうと思って作出したものではないんですよ」と謙虚に話されていましたが、10年に及ぶ深見さんの桜錦に対する情熱がなければ、この美しい品種の金魚は存在していません。やわらかい言葉の節々に、深見さんの金魚と桜錦に対する強いこだわりを感じることが出来ました。深見さん、数時間にわたりお話、ご案内をして頂き大変ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。




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